防災教育「釜石の奇跡」

防災教育「釜石の奇跡」

「釜石の奇跡」

つじ・よしのぶ 建築研究所特別客員研究員

千年に一度の超巨大津波に襲われた東日本大震災から明日で3年。被災地の調査を続ける中で、常々思い知らされるのは「津波てんでんこ」の教えの正しさだ。

てんでんことは各自のこと。海岸で大きな揺れを感じたときは、津波が来るから肉親にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ-という意味だ。

この教訓に基づき、片田敏孝・群馬大教授(災害社会工学)の指導で津波からの避難訓練を8年間重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校では、全児童・生徒計約3千人が即座に避難。生存率99.8%という素晴らしい成果を挙げて「釜石の奇跡」と呼ばれた。

同市北部に位置する鵜住居(うのすまい)町の海岸線から約800メートル、海抜約3メートルの川沿いの低地に並んで建っていたある中学校と小学校の事例を見てみよう。

平成23年3月11日。午後2時46分に東日本大震災が発生すると、中学校の副校長は教室から校庭に出始めた生徒たちに、「(避難所へ)走れ!」「点呼など取らなくていいから」と大声で叫んだ。

そして若い教職員に、率先避難者となって生徒たちと避難所へ走るよう指示。避難所は約700メートル南西の福祉施設で、所在地は訓練で全生徒に周知していた。

当初、一部の生徒は走らず、校庭に整列しようとしたが、副校長らは懸命に「逃げろ」「走れ」と指示。そのため全員が校門を出て、避難所へと駆けだした。

一方、小学校は耐震補強が終わったばかりの鉄筋コンクリート造り3階建ての校舎で、雪も降っていたことから、当初は児童を3階に集めようとしていた。しかし、「津波が来るぞ」と叫びながら走っていく中学生らを見て、教職員は避難所行きを即断。小学生も一斉に高台へ走り出した。

このとき、小学校には保護者数人が児童を引き取りに来ていた。教職員は児童を避難させたことを説明し、一緒に避難することを勧めたが、1人は児童をつれて帰宅し、津波の犠牲になってしまったという。

避難した小中学生約600人は、標高約10メートルの福祉施設に到着したが、裏手の崖が崩れそうになっていたため、中学生らがもっと高台への移動を提案。さらに約400メートル離れた標高30メートルの介護施設へ、小学生の手を引きながら避難した。

この直後、津波遡上(そじょう)高は20メートルに達し、福祉施設は水没。「津波てんでんこ」の教訓と、防災意識の高い中学生の冷静な状況判断が、多くの命を間一髪で見事に救う結果となった。

(つじ・よしのぶ 建築研究所特別客員研究員=歴史地震・津波学)

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